整形外科 リウマチ科

Akamatsu Orthopaedic Clinic

日本整形外科学会 整形外科専門医

日本リウマチ学会 リウマチ専門医

日本体育協会 公認スポーツドクター

医療とレモンの原理

要旨

自由な取り引きができる市場では、外見からは中身の良し悪しが分かりにくい商品で、商品の提供側と受け手との間の、その商品に関する情報の量、質の差が大きい場合、良い商品はだんだん提供されなくなり、粗悪な商品がはびこることになります。しかも市場は縮小し成り立たなくなっていきます。

医療に自由主義経済の原理を持ち込みますと、同じ事が起こり得ます。

このページの先頭へ

自由主義経済の市場と医療

自由主義経済の市場では、客は商品の質と値段を見て買い物をします。商品の良し悪しが外見ですぐ分かったり、品質についての情報が豊富で正確であれば、客はよい買い物ができ満足でしょう。しかし、売り手と買い手の間に情報の格差があったらどうでしょうか。売り手は商品の欠陥を隠して売っているかも知れません。

以下の経済学の話は、現在の日本の医療に直接は当てはまりません。医療が自由主義経済である米国ならこれが当てはまります。

日本に自由主義経済の医療システムを持ち込もうとしている人々がいます。日本にもいますし、海外、特に米国にもいます。彼らはそれで商売ができると考えているからです。彼らは、「医療の規制を取り払えば自由競争で質は良くなり医療費は下がる」と主張しています。

言葉の響きはよいのですが、果たしてそうなるでしょうか。

このページの先頭へ

アカロフ教授のレモンの原理

2001 年のノーベル経済学賞受賞者、ジョージ A. アカロフは、米国の中古車市場を例に、売り手と買い手の間の情報の非対称性 ( 情報格差 ) の問題について、1970 年にレモンの原理と呼ばれる学説 ( レモン市場 : 品質、不確実性とマーケットメカニズム ) を発表しています。

このページの先頭へ

悪貨は良貨を駆逐する ( レモン = 粗悪な中古車 )

米国では、外見からは中身がわからない、後になって欠陥があることが判明する劣悪商品をレモン、品質のよいものは桃 ( ピーチ ) と呼びます。レモンには、おいしそうにみえても実は中身が腐っていたり、農薬が残っていたりするものが混じっていたりするからです。ピーチは、中が腐ればすぐに外見から分かるので、良いものしか店頭に並びません。

中古車は、素人が外から見ただけでは、その良し悪しが分かりません。そこで中古車市場で次のような例を考えてみます。

中古車の売り手が自分の車のことをよく知っているのに対し、買い手がその車の情報を知らないのはよくあることです ( 事故歴、故障歴など )。売り手が誠実に車の情報を買い手に提供する限り問題はありませんが、そうでないとき、売り手が不利な情報を隠している場合が問題です。

ある中古車市場で中古車を買った人は、情報を知らない購入時には満足しているでしょうが、その人はいずれ欠陥車だった事を知ります。そうしますと買い手は売り手にクレームをつけるだけでなく、こういう中古車市場に不信感を抱き、今後その市場では買わなくなるでしょう。さらにその話を聞いた人もその市場から中古車を買うことはないでしょう。

また、例えば、よい中古車 ( ピーチ ) は 100 万円で、同じ車種と外観の粗悪な中古車 ( レモン ) は 50 万円だとします。買い手は、100 万円のものと 50 万円のものの区別がつきませんから、およそ間を取って、75 万円を基準に購入を検討するでしょう。そうすると 50 万円の中古車は 75 万円で売れる代わりに、100 万円の中古車は、売り主が売りに出さなくなります。

よい中古車 ( ピーチ ) の割合は減って、粗悪な中古車 ( レモン ) の割合が増えて、価格は、さらに、レモンであるリスクを買い手が考慮するために下がります。

粗悪な中古車が混ざっている割合が増え、しかも値段が高めにつけられていますと、買い手は減ります。こうしてこの中古車市場は縮小し、機能しなくなり、ひいては崩壊 ( 市場の閉鎖 ) するのです。

このページの先頭へ

中身の良し悪しよりも情報

以上の話をさらに発展させて考えます。商品の中身の良し悪しの情報が買い手に分からなければ、良い商品ですら売れなくなってしまいます。売り手は知っていても買い手は知らない、買い手は正しい情報が無く良悪が判断できない、この情報の非対称 ( 情報格差 ) が市場を成り立たなくさせてしまいます( 売り手と買い手とで値段が折り合って売買が成立することがなくなる )。市場の状況は、買い手にとっても売り手にとっても悪くなる一方です。

アカロフは、この例えで、商品やサービスの品質に関して情報の非対称性が存在するとき、市場は効率的な資源配分に失敗、市場そのものが存在できなくなる可能性があるとしました。

このページの先頭へ

医療における情報の非対称

医学の素人にとって、医療の質の良し悪しは大変分かりにくいものです。しかも、生身の人間を対象に、これも人間の技術で行う医療は、時と場合により、その品質は様々に変化するでしょう。

一人の患者として病院の門をくぐるとき、これから受けるであろう医療の質は、患者には分かりません。医療を提供する側は、患者よりは多少、情報を多く持っています ( しかしながら、個々の患者ごとに一定水準の医療の質を保証することはできません。商品についている保証書のようなものは医療にはありません )。そこに自由な値段がつくとしたら、患者は質と値段をどう評価したらよいでしょうか。今巷にあふれている病院ランキング本は役に立つでしょうか。

医療の提供側と医療を受ける側の情報の格差が大きいと、自由主義経済の医療では容易にレモンの原理のとおりになってしまうでしょう。例えば次のような事態が起こると考えられます。

自由に医療の宣伝ができて自由に医療の値段を決めることができる社会にいたとします。医療の情報格差が大きいままですと、患者は宣伝を信じるか、口コミとかランキング本で医師を選ぶしかありません。患者がランキング本を見て選んだいわゆる「名医」の手術を受けたとして、これは判断の材料としては乏しく、この判断は誤っていたかも知れませんが、一応患者はサービスを購入するという判断ができたのです。ところが結果が思わしくなかった、「名医」と本で評価されているだけあって費用はものすごく高かったのに。「名医」が実は中身が腐ったレモンだったのかも知れません。こういう事例が少数ながらでも起こると、ランキング本はたちまち役に立たなくなり、患者は医療の質と値段の判断が全くできなくなってしまいます。

医療を提供する側はどうなるでしょうか。基本的に、品質がよい医療は高い値段で売れ、粗悪な医療は低い価格が設定されるでしょう。しかし、粗悪な医療でも最初は高く売れるかも知れません。医療の品質と適正な値段は、素人には分かりません。そのうち患者が医療の質と値段を判断できない状態になると、質の良し悪しと値段は関係なくなってしまい、本当に質のよい高い値段の医療は、相応の値段で売れることはなくなり、さらに、信用も失ってしまうのです。そうなりますと、医療を提供する側は、質が悪い医療しか提供しなくなりますし、医療の市場で医療そのものの信用が全く失なわれてしまい、誰もまともに金を払って医療を受けようとしなくなるかも知れません。

医療は中古車と異なり、人間にとって全く不要となることはありません。レモンの原理の結果、安くて粗悪な医療のみの医療市場となるのです。

医療の提供側と医療を受ける側の情報の格差は、双方がそれを埋める努力をする必要がありますが、その格差が埋まることはなかなかありません。医療はそれだけ高度に専門的で、個々の事例で不確定な要素が大きく、しかも医師の技術や病院の能力の正確な評価が難しいからです。自由な競争と自由な価格設定の医療では、今の日本のように万人に公平な質が担保されることはなく、医療は信用を失って医療サービス市場は崩壊、決して患者に福音をもたらすことはないのです。

このページの先頭へ

医療は一定水準の質が担保されるべき社会保障

医療を自由競争に任せた、その代表的なといいますか、世界で唯一の好例が米国の医療です。米国の最高レベルの医療は確かに世界最高ですが、それを受けることができる患者はほんのわずかです。しかも、プレミアと保証書のついた高い中古車と違い、医療の結果は個々の事例で様々です。そういう病院と医師のもとでも、中古車選びのように結果 ( 品質 ) が保証されるというわけにはいきません。

米国では医療保険に入れない ( 保険の契約ができない、保険商品を買うことができない ) 人が 4000 万人以上いて、その人達が受ける医療よりもはるかに質の良い医療を日本で受けることができます。

しかも米国は、世界で最も多くの税金を医療につぎ込んでいるだけでなく、米国民の医療費負担も世界一です。

患者が質の良い医療を受けられるようにするには、適切に規制され、ある程度の質が維持された医療を、万人が公平に受けることができるような制度を構築することが必要です。これは社会保障そのものでもあるのです。ヨーロッパ先進諸国の医療制度は、基本的にこうなっています。

このページの先頭へ

参考

2001 年アルフレッド ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞 ( ノーベル経済学賞 )

情報のあり方が市場に与える影響を解明しようとする、新しい情報経済学に道を開いた。

  • ジョージ A. アカロフ ( George A. Akerlof、61 歳、米カリフォルニア大学バークレー校教授 )
  • A. マイケル スペンス ( A. Michael Spence、58 歳、米スタンフォード大学教授 )
  • ジョゼフ E. スティグリッツ ( Joseph E. Stiglitz、58 歳、米コロンビア大学教授 )

このページの先頭へ