▼ 2009/07/19(日) 医療費亡国論
医療費亡国論が世に出た頃の時代背景を、一度 2006年10月22日 (日) に、ウェブ上に掲載し考察したことがあります。以下に再録しておきます。
キーワード
医師不足、医療崩壊、医療費抑制、医療費増大、医療費亡国論、吉村仁、武見太郎、花岡堅而
本田宏済生会栗橋病院副院長が Nikkei Medical ONLINE で執筆されているブログで医療費亡国論に触れられているのを拝見した。
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/honda/200610/501522.html
この時代に、戦後の社会保障政策の様々な矛盾が目に触れるようになって来た。その最たるもの、老人医療費の無料化は、検査漬け、薬漬け医療と、味噌も糞も一緒に、時の医療制度への批判となって、医療費が将来も増え続けて国を滅ぼすという、一官僚の発言に結びついた、と思われている。
その根底には、戦後の国民皆保険制度を構築して来た二つの大きな力、自民党政権と日本医師会、これに大蔵省、厚生省が加わった四角関係、対角関係とも言うべき力関係のバランスの隙間ができていたと思う。
武見太郎元日本医師会長が退任したのが 1982 年、亡くなったのが 1983 年 12 月だった。後を継いだ花岡堅而会長は、武見時代の遺産とも言うべき、日医と自民党との様々な協定、約束事に守られながらも、少しずつ妥協させられ、力を削がれていった。
時の中曽根政権は、ロッキード事件の波を被って解散、総選挙に追い込まれた。
その隙間に立っていた吉村仁厚生省保険局長 ( 当時、後に事務次官 ) は、単なる思いつきでこういうことを言い出したのではないだろう。
当時の国会議事録などを見ると、この頃、既に社会保険給付の縮小は、大蔵省、厚生省とも考えていた。1982 年 10 月、厚生省は事務次官を本部長とする「国民医療費適正化総合対策本部」を設けて臨調答申「増税なき財政再建」に沿った医療費抑制策の検討を進めていた。
武見会長がいなくなり、自民党政権が弱体化した。厚生省は、かねてからの計画の具現化に向けて走り出せる状況になったのだ。
この頃の政治の動きを少しだけだがピックアップしてみる。
1983 年春、保険局課長補佐クラスの若手による医療保障政策研究会の論文、「医療保障政策の構想-低成長下における医療保障のあり方」が業界誌に発表された。その内容は、以下のごとくであったという。
出典 : 日本医師会創立記念誌 - 戦後五十年のあゆみ
http://www.med.or.jp/jma/50th/pdf/50th158.pdf
(3) (4) は入院食事費の給付外し、アメニティ部分の自費負担、入院期間による診療報酬の逓減などと形を変えて姿を現した。(5) は診療報酬改定のたびに口の端に上っている。(6) は米国管理医療をお手本としていて、診療報酬の削減の口実に、まずは、リハビリテーションで混合診療、あるいは給付制限の形をとって導入されたものが例として挙げられるだろう。(7) は、CT、MRI の性能の高い装置の報酬は高く、そうでないものは安くと設定された事に結実した。診療報酬を下げるとともに、医療機器業界は潤うのだ。
1983 年はまた、老人保健法が施行された年であった。費用の 30% を国、自治体が負担、70% を制度間の拠出金による財政調整で賄い、患者自己負担を外来 1 か月 500 円、入院 1 日 300 円 ( 4 か月限り ) とするもので、花岡日医執行部はこれを容認した。
この頃、吉村仁厚生省保険局長 ( 当時 ) の名前が見られるものの例を挙げる。
出典 : 第 98 回国会衆議院社会労働委員会 1983.5.19
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/098/0200/09805190200010c.html
このときの質疑の中に、現在の老人保健施設、介護保険の制度につながる質疑が既に見られる。
出典 : 第 101 回国会衆議院社会労働委員会 1984.5.20
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/101/0200/10105100200013c.html
このころ、吉村仁保険局長の名で複数の文書が、あるものは論文として、あるものは怪文書と非難された無記名のパンフレットとして出回り、それには医療費亡国論、あるいはサラリーマン被保険者自己負担 2 割導入を目玉とする健康保険法改正案が書かれていたのだろう。
同じ第 98 回国会衆議院社会労働委員会 1983.5.19 で、混合診療の説明の有名な文句が初めて出て来ている。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/098/0200/09805190200010c.html
厚生官僚たちは、ずっと以前から、今日の姿を目指して、政治の裏で動き回り、さらに将来の姿を追っているのだ。
医療費亡国論も、この時期のその他の様々な議論も、吉村仁元厚生省保険局長 ( 元事務次官 ) 一人の考えではないだろう。武見日医会長時代に忍従の日々を送った厚生官僚たちが、医療のコントロールを我が手に取り戻そうと代々受け継いで来た、いわば DNA に記録された意志、とでも言うべき考え方の一端なのだ。そして社会保障制度の形を維持しながらも、大蔵省 ( 当時 )、経済界、そして自分たちの利権のバランスをコントロールしようとしていたのだ。岡光序治元厚生省事務次官の事例で、それがよく理解できる。
吉村仁元厚生省保険局長は、癌を患いながらも、厚生省の DNA が命じるところに身を捧げ、事務次官となり、自身の命と引き換えに、日本の公的医療保険政策を今日の医療費抑制政策に大きく転換させたのだ。厚生官僚の DNA、恐るベし。
キーワード
医師不足、医療崩壊、医療費抑制、医療費増大、医療費亡国論、吉村仁、武見太郎、花岡堅而
本田宏済生会栗橋病院副院長が Nikkei Medical ONLINE で執筆されているブログで医療費亡国論に触れられているのを拝見した。
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/honda/200610/501522.html
Nikkei Medical ONLINE 2006.10.3
医療費亡国論は保険局長の“私の考え方”
「医療費亡国論」は、1983年に「社会保険旬報」に掲載された「医療費をめぐる情勢と対応に関する私の考え方」という論文に見ることができます。論文の筆者は、当時の厚生省保険局長の吉村仁氏です。吉村氏は「このまま医療費が増え続ければ国家がつぶれるという発想さえ出ている。これは仮に“医療費亡国論”と称しておこう」として、論文の中で以下の3点を強調しています。
1)医療費亡国論:このまま租税・社会保障負担が増大すれば、日本社会の活力が失われる
2)医療費効率逓減論:治療中心の医療より予防・健康管理・生活指導などに重点を置いたほうが効率的
3)医療費需給過剰論:供給は一県一大学政策もあって近い将来医師過剰が憂えられ、病床数も世界一、高額医療機器導入数も世界的に高い
この時代に、戦後の社会保障政策の様々な矛盾が目に触れるようになって来た。その最たるもの、老人医療費の無料化は、検査漬け、薬漬け医療と、味噌も糞も一緒に、時の医療制度への批判となって、医療費が将来も増え続けて国を滅ぼすという、一官僚の発言に結びついた、と思われている。
その根底には、戦後の国民皆保険制度を構築して来た二つの大きな力、自民党政権と日本医師会、これに大蔵省、厚生省が加わった四角関係、対角関係とも言うべき力関係のバランスの隙間ができていたと思う。
武見太郎元日本医師会長が退任したのが 1982 年、亡くなったのが 1983 年 12 月だった。後を継いだ花岡堅而会長は、武見時代の遺産とも言うべき、日医と自民党との様々な協定、約束事に守られながらも、少しずつ妥協させられ、力を削がれていった。
日本医師会
第 11 代会長 武見太郎 1957 - 1982
第 12 代会長 花岡堅而 1982 - 1984
時の中曽根政権は、ロッキード事件の波を被って解散、総選挙に追い込まれた。
1976.7.27 田中角栄元首相逮捕、1983.10.12 田中元首相有罪判決
1983.12.18 第 37 回衆議院議員総選挙 ( 第一次中曽根内閣退陣、自民党 250 議席で議席減 )
’83第三十七回衆議院総選挙 ( 社民連十年史 1989.3.11 )
http://www.eda-jp.com/books/usdp/3-15.html
http://www.eda-jp.com/books/usdp/index.html
その隙間に立っていた吉村仁厚生省保険局長 ( 当時、後に事務次官 ) は、単なる思いつきでこういうことを言い出したのではないだろう。
当時の国会議事録などを見ると、この頃、既に社会保険給付の縮小は、大蔵省、厚生省とも考えていた。1982 年 10 月、厚生省は事務次官を本部長とする「国民医療費適正化総合対策本部」を設けて臨調答申「増税なき財政再建」に沿った医療費抑制策の検討を進めていた。
武見会長がいなくなり、自民党政権が弱体化した。厚生省は、かねてからの計画の具現化に向けて走り出せる状況になったのだ。
この頃の政治の動きを少しだけだがピックアップしてみる。
1983 年春、保険局課長補佐クラスの若手による医療保障政策研究会の論文、「医療保障政策の構想-低成長下における医療保障のあり方」が業界誌に発表された。その内容は、以下のごとくであったという。
出典 : 日本医師会創立記念誌 - 戦後五十年のあゆみ
http://www.med.or.jp/jma/50th/pdf/50th158.pdf
(1) 保険制度の統合一本化に向かうのは適当ではない。
(2) 全国民を通じる共通の基礎給付制度を検討し、財政調整問題の解決を図る。
(3) 入院医療を適切にコントロールするために、入院時の審査承認制度や特定の疾患については、入院後の一定期間ごとに保険者の承認を必要とするなどの基準を設定する。
(4) 入院時食事代は、特定の疾患以外は給付対象外とするか、患者に一部負担を求める。
(5) 大衆保健薬としても使用されているビタミン剤や総合感冒薬は、特別な場合を除いて、給付対象外とする。あるいは特別の一部負担制を導入する。
(6) 学術専門団体によってまとめられた標準的ガイドライン(医療標準)を導入する。
(7) 高額・高度医療機器の設置規制を検討する。
(3) (4) は入院食事費の給付外し、アメニティ部分の自費負担、入院期間による診療報酬の逓減などと形を変えて姿を現した。(5) は診療報酬改定のたびに口の端に上っている。(6) は米国管理医療をお手本としていて、診療報酬の削減の口実に、まずは、リハビリテーションで混合診療、あるいは給付制限の形をとって導入されたものが例として挙げられるだろう。(7) は、CT、MRI の性能の高い装置の報酬は高く、そうでないものは安くと設定された事に結実した。診療報酬を下げるとともに、医療機器業界は潤うのだ。
1983 年はまた、老人保健法が施行された年であった。費用の 30% を国、自治体が負担、70% を制度間の拠出金による財政調整で賄い、患者自己負担を外来 1 か月 500 円、入院 1 日 300 円 ( 4 か月限り ) とするもので、花岡日医執行部はこれを容認した。
この頃、吉村仁厚生省保険局長 ( 当時 ) の名前が見られるものの例を挙げる。
出典 : 第 98 回国会衆議院社会労働委員会 1983.5.19
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/098/0200/09805190200010c.html
第 98 回国会衆議院社会労働委員会 1983.5.19
○浦井洋委員 ( 共産党 )
そこで、保険局の方にお尋ねしたいのですが、吉村保険局長はあっちこっちでいろいろなことをしゃべっておられるようであります。鬼にも蛇にもなるということだそうであります。最近のこういう雑誌なんかに、ある程度あなたの考え方が集大成されたような形で出ておるようであります。それを私なりにダイジェストしてみますと、たとえばここなんかは「医療費適正化の方向と対応策」という題で、一番新しいのに出ておるわけですね。そこで、医療費を考えるメルクマールとして、一つは「医療費亡国論」、二番目が「医療費の効率逓減論」、三番目が「医療費需給過剰論」と、こういうふうに、それなりに理論立ててきておられる。こういうものを踏まえた上で、今後の対応の基本的な方向はということであなたが言っておられるのは、重点は「公共医療費を抑制して医療費に対する国民負担(公共負担)が増大しないようにする」
このときの質疑の中に、現在の老人保健施設、介護保険の制度につながる質疑が既に見られる。
出典 : 第 101 回国会衆議院社会労働委員会 1984.5.20
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/101/0200/10105100200013c.html
第 101 回国会衆議院社会労働委員会 1984.5.20
○塚田延充委員 ( 民社党 )
次に、話題を変えまして、「なぜ、いま医療保険を改革するのでしょうか」、このパンフレットは御存じのはずでございます。これについてお尋ねいたしますが、なぜ発行人または編集人、これは厚生省のはずでございますけれどもこれを明記しなかったのか、その理由をお聞かせください。
○吉村政府委員
別に隠し立てをしようと思って書かなかったわけではございません。特段の理由はないわけでございますが、私どもがつくって私どもが配布しておる、その責任を免れようという気持ちは全くございません。私どもが配るときには、これは私どもがつくったものである、こういうことを言ってお配りをしたものでございます。
なお、前の委員会でこれは怪文書だ、こういう御指摘もございましたので、新しいパンフレットには厚生省の保険局の名前を記入してお配りをしております。
○浦井洋委員 ( 共産党 )
私も、まず最初に、怪パンフとか怪文書とか言われておるこのパンフレットを少し問題にしたいのですが、早速この新版を取り寄せてみました。今保険局長言われたように、新しい版は大きくなって「厚生省保険局」、こう書いてあるわけです。さらに余分にこういうのが入っております。大臣、御存じですか。これが余分に入っておりますけれども、中身は全く変わってないわけですね。先ほどもいろいろと御意見があったようでありますけれども、例えば私が指摘したいのは5審とか6番の辺ですね。特に漫画が悪いです。わざわざ漫画をこう書いて、例えば5のところでも、サラリーマンの本人が十割給付でたばこを吸って寝そべっておるのを、そばの自営業者であるとかサラリーマンの奥さんがそれをにらみつけておる。こういうような描き方が果たして漫画に値するのか。しかも、厚生省が責任を持って出した文書についておる漫画と言えるのか。私はこれは非常に義憤を感ずるというか、非常にけしからぬというように思うわけであります。
6番目を見ますと、今度は国民の三割の十割給付のサラリーマンが、お酒を飲んだような格好でかばんをぶら下げて帰ってくるわけです。それを今度は、国保の加入者であるとかサラリーマンの家族の方がこれまたうらやましそうにながめておる。これを特に国会関係にまくというわけでしょう。こういうようなふまじめな漫画をなぜ描くのかと、私はまず最初に大臣並びに保険局長に強く申し上げたいわけなんです。サラリーマンの奥さんというのは、主人が十割給付であるから喜んでおられるわけでしょう。それを一括して、サラリーマンの本人十割給付、三割の方がここにおるんだ、あとはサラリーマンの奥さんも含めて七割のところにおって、そして、非常にうらやましがったりあるいはサラリーマンの本人を憎々しげににらんでおる。これは何ですか。この七割給付は、五割から七割になってきて、サラリーマンの被扶養者の場合で言えば、これからもっと上げてもらおう、しかし政府がなかなか上げないので、政府に対して怒っている漫画ならわかりますよ。十割給付の人に対して怒っているというようなこんな漫画の描き方、漫画というのはアイロニーといいますか風刺をきかして、見る人の肺腑をつくようなものでなければならぬ。それをこんな汚い漫画を描いておる。
.....
こういう漫画の載った文書を、しかも国会の良識のある国会議員やらあるいは秘書の皆さん方に配るということ自身が私は不見識だし、これはもう侮辱するものだと思うのですよ。これは保険局、吉村さんですか。この新版は何部刷られたんですか。これは両方合わせてどれくらいお金がかかっておるのですか。
○吉村仁政府委員 ( 厚生省保険局長 )
今回のパンフレットの印刷部数でございますが、当初五千部刷りまして、さらに求めが非常に多いので五千部増刷をいたしました。
○浦井洋委員
費用は。
○吉村仁政府委員
その費用は約百三十万円でございます。
このころ、吉村仁保険局長の名で複数の文書が、あるものは論文として、あるものは怪文書と非難された無記名のパンフレットとして出回り、それには医療費亡国論、あるいはサラリーマン被保険者自己負担 2 割導入を目玉とする健康保険法改正案が書かれていたのだろう。
同じ第 98 回国会衆議院社会労働委員会 1983.5.19 で、混合診療の説明の有名な文句が初めて出て来ている。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/098/0200/09805190200010c.html
厚生官僚たちは、ずっと以前から、今日の姿を目指して、政治の裏で動き回り、さらに将来の姿を追っているのだ。
医療費亡国論も、この時期のその他の様々な議論も、吉村仁元厚生省保険局長 ( 元事務次官 ) 一人の考えではないだろう。武見日医会長時代に忍従の日々を送った厚生官僚たちが、医療のコントロールを我が手に取り戻そうと代々受け継いで来た、いわば DNA に記録された意志、とでも言うべき考え方の一端なのだ。そして社会保障制度の形を維持しながらも、大蔵省 ( 当時 )、経済界、そして自分たちの利権のバランスをコントロールしようとしていたのだ。岡光序治元厚生省事務次官の事例で、それがよく理解できる。
第 98 回国会衆議院社会労働委員会 1983.5.19
○吉村仁政府委員 ( 厚生省保険局長 )
例で御説明して申しわけありませんが、東京から神戸に行かれるまでにグリーン車で行くか、普通車で行くかという二つのやり方があるわけですが、グリーン車で行くというのは保険の給付内にしていないと仮にいたします。普通車で行かれるなら全部費用を保険で持ちます。こういう場合に、それじゃみんな普通車に乗らなければならぬかというと、やはり希望によってはグリーン車に乗りたい人もおられると思うのです。その場合に、それじゃグリーン車へ乗るのだから全部自費でおやりなさいというやり方と、グリーン車と普通車の料金の差額は自分で持ってください、こういうやり方と二つあると思うのです。私どもは今回のやり方で、普通車の料金はグリーン車にお乗りになってもお払いをいたします、しかしグリーン車と普通車の差額は御本人の負担にしてください、例えて言えばそういうようなことを考えたわけでございます。
吉村仁元厚生省保険局長は、癌を患いながらも、厚生省の DNA が命じるところに身を捧げ、事務次官となり、自身の命と引き換えに、日本の公的医療保険政策を今日の医療費抑制政策に大きく転換させたのだ。厚生官僚の DNA、恐るベし。